「KUNILABO人文学学位論文出版助成2024」に、たくさんのご応募をいただきありがとうございました。半年にわたる厳正な審査の結果、NPO法人国立人文研究所は、下記の論文を助成対象論文とすることに決定致しましたので、ご報告致します。

論文:

1940年代に南洋へ移動する女性作家をめぐる研究

著者:

張雅氏

第二次トランプ政権の発足で人文学研究、とくに90年代以降発展してきたジェンダーやフェミニズム、マイノリティ、ポストコロニアリズムに関わる研究が米国で弾圧を受けるなか、戦時中に南洋を主題に作品を残した女性作家たちを扱った、こうしたすぐれた博士論文を世に出すお手伝いができることを大変うれしく思います。  もちろん、そうした政治的な理由から本論文が対象に選ばれたわけではありません。しかし人文学は今否応なく政治的な場におかれています。講評にあるように、この論文は著者の優れた力量を示すものですが、しかし同時にこうした業績はつねにこれまで蓄積されてきた数多くの研究の結晶でもあります。著者のご研究のますますの発展を祈るとともに、この助成が、人文学という場が著者のようなすぐれた知性を引きつける場であり続けるために少しでも役立つことを願います。

2025年5月19日 NPO法人国立人文研究所 代表 大河内泰樹

助成対象論文講評

対象論文「1940年代に南洋へ移動する女性作家をめぐる研究」

本論文は、1940年代に南洋へ派遣された女性作家のテクストを中心に、女性たちの南洋体験の特徴と位相、ならびに日本の南洋統治の認識を考察するものである。従来、南洋における文学者の戦争協力についての研究は、男性作家を中心とする傾向があり、彼らが現地でおこなった文化交渉の検証と徴用体験の考察をするものが主流であった。本論文は、大本営派遣という形式が女性作家を「女流作家」、「日本の母親」、「家庭主婦」、「日本人女性」といった身分に置いたうえで「女」の眼で戦争を語らせるという文脈に着目しながら、個々の女性作家の南洋をめぐる文学作品の考察をおこなうものである。最終的には、軍政の浸透について、銃後女性に向けて「女性作家特有」の眼差しで語ることを求められた個々の女性作家が、どのような心持ちで任務を引き受け、現地で誰と会い、どのような風景を見てきたかを検討することをつうじて、本論文は、これまでの文学研究の領域で見落とされてきた女性作家の南洋表象に新たな知見を提示している。  議論の理論的背景としては、フェミニズムの影響を受けて、1990年代以降盛んになった戦争と女性に関する研究と、ポストコロニアル批評がある。1970年代から80年代にかけて、市川房枝などの女性知識人が、いかに翼賛活動に参画していたかという点から、銃後女性の加害者性にあらたな光が当てられた。1990年代以降、そうした知見を押し進めて、いかに女性が国民化されたか、あるいは国民国家がいかにジェンダー化されていたかという点が検証されている。本論文はこうした研究の潮流のなかにある。また、エドワード・サイードらが開いたポストコロニアル批評を援用しながら、近代日本が、みずからもオリエントの国家でありながら植民地主義に向かう際に特異なオリエンタリズムをまとっていたことを示している。さらにはホミ・バーバに依拠しながら、こうしたオリエンタリズムが単なる二項対立の図式にとどまらない複雑な力学において働いていたことを確認し、こうした複雑な力場にさらにジェンダーの力学が働く場合に、多用な力が交差し、表象もまた一筋縄ではないかない複層的な意味を持ち得るさまを考察している。  以上のような理論的な背景に基づいて、本論文は、第二次世界大戦中の文学についての研究としては、「南洋に赴いた女性作家」というあらたな視点を提示している。戦地に赴いた女性作家の戦争言説への関与をめぐっては、ペン部隊の一員として大陸に派遣された作家たちについてはすでに一定程度の研究の蓄積があるものの、日中戦争をめぐる議論が中心であった。他方、一般的に、南洋は男性作家を中心に歴史化されており、女性作家という場合には、林芙美子や佐多稲子に議論が集中し、その場合も、戦後からの眼差しによる過去の再構成といったアプローチが主流をなしている。その点で、女性作家と南洋の経験という問題を取り上げる本論文は、1940年代の日本の近現代文学研究の潮流それ自体に批判的に介入する試みでもある。  本論文は三部から構成されている。第一部では、1940年代の「南進」のイメージの変容について、森三千代の作品における南進女性や、雑誌の座談会での談話などが分析されている。第二部においては、女性作家にとっての南洋体験が分析される。長谷川晴子、吉屋信子らのフランス領インドシナ(仏印)を舞台としたテクスト、三宅艶子、川上喜久子によるフィリピン経験などが取り上げられ、日本の性別役割分担における女性の立ち位置と、軍政視察という公的領域とが、彼女らにおいては、いかに交錯するかが分析されていく。最終的には、第三部において、女性作家が国策としての南洋行きについて、戦後、いかにその経験を批判的に言語化していくのか、森三千代、小山いと子、林芙美子らを俎上に載せて論じていく。  この議論で評価すべきは、まず、南洋の女性作家を、林芙美子や佐多稲子からさらに拡げて、現在では忘れられた書き手や無名の女性までも研究の対象としながら、女性作家の南洋認識を総合的に捉えることによって、南洋をもっぱら男性作家が占有する場であるという旧来のイメージに亀裂を入れているということ、また帝国日本の法域とメディアの共犯関係が作り出した女性表象の変容に注目している点である。さらには、この女性表象が、一元的なものではなく、時期と地域によって異なる複雑なものであることも同時期に南洋に赴いた女性たちを比較しながら議論されている。各章で取り上げられる女性たちが、否応なくイデオロギーの編成に組み込まれ、加担させられながらも、彼女たちがまた、単に加担するか加担させられるかという二項対立的な状況から意識的、あるいは無意識的に逸脱している様に着目し、それが帝国の秩序を乱す効果を持っていたことを指摘しているくだりは、本論の白眉である。  女性作家は、女性かつ作家であるために、男性作家には軍刀を、女性作家には華美な服装を求めたことに象徴されるような帝国日本のジェンダー・イデオロギーを体現する存在として、現地においても、銃後においても、帝国日本の女性を代表するモデルとして、重要な任務を与えられた。そうした制約のなかで赴く南洋という場において、戦争に加担する(あるいはせざるを得なかった)彼女たちが、お膳立てされた場で経験することを、検閲のもとで書くことには幾重もの制約がある。本論文は、その多重の制約下において書かれたテクストのなかにイデオロギーに回収しきれない部分が密やかに息づいているという点に着目することによって、彼女たちが単なる加害者/被害者、あるいは協力者/密かな抵抗者という二項対立に収まらないことを指摘しているが、この知見は、今後、こうした作家たちを再評価する足場になることは間違いない。  本論文は、南洋というしばしば冒険の場、ロマンティックな場とされた帝国の場に、いかに複層的な権力が強制力を持ちながら交錯するか、またその場に赴く帝国の国民と化した女性作家がいかにその力場を感知し、その力に身を委ねながらもまたその力に回収され得ないものを忍び込ませることができたのか、そのことを丁寧に紐解くものである。そのことにより、従来の研究の歴史に亀裂をいれ、またあらたな研究の端緒を開くという意義がある。さらにまた、わたしたちが、平生「歴史」と思っていることが、いかに思い込みであるのかということを再考させてくれるという点でも意義深い。みずからの足元を切り崩すことをも含めた人文学の持つ批判的なまなざしの実践として、本論文は、第二次世界大戦の時期を中心に、南洋という帝国の場に、今後の研究の種を蒔いたと言える。

以上の理由により、張雅氏の「1940年代に南洋へ移動する女性作家をめぐる研究」を本出版助成の助成対象にふさわしい論文であると判断する。

2025年5月19日 NPO法人国立人文研究所・出版助成審査委員会

NPO法人国立人文研究所・出版助成審査委員会

秋山晋吾 石居人也 越智博美 河野真太郎 佐々木雄大 出口剛司 三崎和志 宮本真也

外部審査員

鏑木政彦 金ヨンロン 高榮蘭 下田和宣